フォンテーヌで魔神戦争はあったのか?

原神

毎年少しずつ情報が出される魔神戦争ですが、フォンテーヌに関して言うと私が見た限りでは全く痕跡がありません。今回はその手がかりを探っていきたいと思います。

手がかりがないのに記事を書くのか…と思うかもしれませんが手掛かりがないのには理由があると考えられます。

どこかで一度魔神戦争の記事を書いておきたかったのでちょうどいい機会だと思いました。

・なぜフォンテーヌに魔神戦争の痕跡がないのか(ver4.1まで)
・「魔神」と「人」と「原神」に関する話

を中心に書きたいと思います。魔神任務の内容(~4章4幕)と鍾離の伝説任務などのネタバレを含むので注意してください。

スメールにおける魔神戦争

フォンテーヌに入る前に、ひとつ前の国スメールにおいて魔神戦争はどう扱われたかについて振り返りたいと思います。

魔神戦争について言及があるのは、①花神誕祭の話、②アフマル、花神、マハールッカデヴァータの同盟(『プシュパの歌』ほか)、③草神に対して偏見を持つ砂漠の民、④散兵とのやりとりなどです。

ナヒーダは魔神戦争を「法則」に駆り立てられた無意味な消耗だとしました(ただし、当然ながらナヒーダは魔神戦争を知識としてしか知らない)。

スメールにおいては、キングデシェレトの信徒が草神を恨んでいるという場面が何度かありました。キングデシェレトこそが「知恵の神」に相応しいのにマハールッカデヴァータが裏切ってそれを奪った。これは魔神戦争を経てマハールッカデヴァータが草神になったという結果だけを見て抱いた偏見でした。

砂漠の民に関する話は、実は鍾離の伝説任務と同じ構図になっています。塩の魔神ヘウリアの信者の宛煙はモラクスに対して憎しみを抱いていました。これは魔神戦争の勝者がモラクスであったという結果から生じた誤解でした。

「亡くなった神を信仰するのは、いいことではない」という言葉は砂漠の一部の民に当てはまることでした。

このようにスメールにおいてはところどころ魔神戦争の痕跡がありました。一方でフォンテーヌはというと今のところその痕跡がありません

史料がない理由

フォンテーヌは、大きく分けて3つの時代に分けられます(「レムリア衰亡史」)。天界の使者とやり取りしていた平和な時代(神話)、レムス王の独裁(レムリア)、そして「女王」が建国したフォンテーヌの時代です。

レムリアは全てを音楽で記録するという特殊な文明でした。これは楽譜と楽器によって残されています。つまり、どちらかが欠けるととその内容が分からなくなってしまいます。しかもその中身も音楽なので内容も理解しづらい。任務「旧世の遺した音」においてトピカはベスタの歌を演奏しましたが音楽としての意味しか感じ取れていませんでした。

すなわち、3つの壁がありました。

文字の時代が始まるのはフォンテーヌからでおそらく「女王」が文字の作成に関わったと考えられます。

以上が記録が残ってない理由ですが、ここではそもそもフォンテーヌでは魔神戦争がなかったのではないか?という可能性を検討します。

「慈水怒濤の翼」

本文は4つの物語から成ります。水のヴィシャップが伝える物語、純水精霊が伝える後日譚、人間が伝える物語、そして、エゲリアの物語です。4段目がとりわけ大事だと思います。

全文

水のヴィシャップが伝える物語

伝説では、原初の海の成分は血液に似ていて生命は最古の海水に浸ると一つに溶け合ったと言われている。陸と空に足を踏み入れるべく、生命は血管を進化させ、そうすることで原初の海を体内に留めようとした。そして原初の海すなわち血の海を支配した心臓こそが、原初の水の龍である。心臓の鼓動が聞こえるたび、あらゆる生き物が繰り返し立ち上がり、そして跪くという。

「心臓」というのは面白い表現です。実は龍と心臓に関わる話って少し出ていました。

「璃月の伝説によると、この結晶は時間と共に力が蓄積し、最終的に本来の心臓を取り換え、ヴィシャップも真の龍になり、山を揺るがし、大地を引き裂くという」(未熟の玉石)。

この原初の水の龍が元素生成能力のある龍(自分の体内に小さな世界=「故郷」を持つ龍?)であったと考えられます。

純水精霊が伝える後日譚

元々の心臓が取り除かれた後、天空の島の使者であり、聖霊を創造する使命を背負った統率者は、原初の海に別の心臓を創り出した。龍の如き気高さがありながら見た目は龍にあらず、神の如き威厳を纏いながら神聖な使命を持たない。君主の手で創られたが、素材と性質はこの世界に由来し、外来する要素は一つもない。

彼女は胎海に滴る涙の一滴である。交流と理解を追求し、それ故に涙を流す。まさにその慈悲の心のせいで、純水の生命が軽々しく口にはできないような原罪を犯す。

「元々の心臓が取り除かれた」というのはパネースによる七龍の征服を指していると考えられます。

ここで新しい人物が出てきました。「天空の島の使者であり、聖霊を創造する使命を背負った統率者」は、エゲリアとの関係を考えるとエリニュス(イリヤ)の可能性があります。

そうすると「水国の先主」=エゲリアだったのではないかと考えられます。

彼女は慈悲の心から罪を犯してしまう。「交流と理解」「慈悲の心」というところがポイントです。「水国の先主」はレムスに「一杯の水」を与え、そこからレムスはイーコールを抽出し魔像を作り上げ、フォンテーヌ地域を戦火に巻き込みました。それが精霊の「罪」ではないかというのが前の記事の結論でした。

エゲリアはこのように自分に悪意を向ける侵略者であるレムスをも理解しようとしてしまったのではないかと考えられます。

人が伝える物語

偉大なるレムスがフォンテーヌにやってくると、彼の幻視の中には偉大なる永遠の都、レムリアがあった。彼は人々に教えを説き、ついには自身の夢の一部に手を触れる。続いて告げられたのは予言者による、悪意のない、しかしこの上なく恐ろしい宣告だった。輝かしい楽章にはいずれ終わりが訪れ、レムリアは滅亡するであろう、と。

「英雄が故郷に帰る時、死ぬのでなければ必ずや暴君となる」とはよく言われる。レムリアが運命から逃れるために施した正義は、あまりの甚だしさについには暴政へと転じた。そして暴政は民衆たちによる怒涛の反乱を招く。偉大なるレムス、愚かなるレムス、思慮深きレムス、孤独なるレムス、そのどれもが姿を消した。

「輝かしい楽章にはいずれ終わりが訪れ、レムリアは滅亡するであろう」というのはフォルトゥナのことです。

レムリアの滅亡の原因はです。前の記事では断罪の釘龍族の反乱の可能性について検討しました。ここでは、「民衆たちによる怒涛の反乱」というのが挙げられています。

「レムリア衰亡史」にも書かれている通り、レムリアはレムス一代で滅びた国であり、フォンテーヌと連続性があると考えられます。

エゲリアの物語(☆)

レムリアの滅亡後、人々は再び「野蛮」へと回帰しようとしていたところに現れたのが「女王」でした。

人々は後ろめたさから審判を渇望し、渇望ゆえに喜捨を望んだ——人は常に神の存在を求めるのだ。こうして胎海の心臓、慈悲なるエゲリア原初のかの人物のピースを授かり、魔神の格および遅れて与えられた神聖な使命を抱くことになる。果たして人々の願いは天に届いたと言ってよいものか、それとも新たな陰謀の幕開けと言うべきか。

ここでは胎海の心臓=エゲリアだったことが語られています。エゲリアは「誰か」から「原初のかの人物のピース」を授かり「魔神の格」と「遅れて与えられた神聖な使命」を抱くことになります。この原初のかの人のピースを授けたのが誰なのかが問題となります。

※「原初のかの人物」と書いてありますが、原文は「原初那一位」(≒原初的那一位)となっているのでおそらくパネースのことを指していると考えられます。パネースとは宇宙とこの世界を分けてテイワットを創ったとされる神話上の存在です(「日月前事」)。

原初のあの方(パネース)

まずパネース自身の可能性が考えられます。エゲリアは「四つの影」の一つだったのではないかということです。

しかし、これは時系列上合わない部分があります。またパネースが「四つの影」を作ったのは「人々」のためではありません。私は次の方が自然だろうと考えます。

天理

「ピース」を授けたのは、第一の王座(パネース)を破った天理だった。

「原初のかの人物のピース」というのはおそらく、天理(第一降臨者)に敗れたパネースの破片と考えられます。敗れたパネースの行方はここにあったようです。

天理が「魔神の格」を与えて、エゲリアは使命を抱くようになります。「遅れて与えられた神聖な使命」というのは、七神の使命=「人類を導くこと」であると考えられます。

つまり、フォンテーヌにおいては天理がエゲリアに魔神の格を与えると同時に七神の使命を抱いたということであって、魔神戦争そのものはなかったのではないかということです。

テキスト解釈
原初の水の龍水の龍王(元素七龍)
統率者(天空の島の使者)エリニュス(イリヤ)?
別の心臓エゲリア
原初のかの人のピース天理に敗れたパネースの断片
神聖な使命七神としての使命=人類を導くこと
「慈水怒濤の翼」

魔神戦争の原因と結果

原因?

これも全く分かっていません。何か定説があるのか知りませんが個人的に思っていることを書きます。

魔神戦争終結前までにテイワットの「法則」であるはずの「時間」の「執政」が天理の手に落ちていなかったという事実があります。そして天理は「四つの影の持ち主」を探していたようです。

第一の王座と第二の王座の戦いが終わった後に、時間の執政は「天理」の手に落ちていませんでしたが、これ以降手がかりがなくなります。

つまり、魔神戦争というのは魔神をこの世から消滅させつつ「四つの影の持ち主」をあぶりだすための行動だったのではないでしょうか(個人的にはあの天理の調停者こそ「時間」の能力をもつ神だと思っています)。

結果

周知のとおり、俗世を席巻したあの大戦では、七神のみしか残ることができなかった」(『珍説』)。

最後の七人の魔神は、それぞれ「神」の座に登り、「魔神戦争」の時代を終わらせた。

仮に他の魔神が生き残る余地があったのならばそもそも戦争は起きないはずです(花神のように同盟を結んでしまえばいいだけ)。ですがそれは叶いませんでした。

テイワットの七神の庇護のもとにある部分には今のところ魔神戦争終結時の七神以外の生きている魔神というのがほとんどいません(外には邪神と呼ばれる存在がいるようです)。

例外はマルコシアス、オセル、雷電影、ナヒーダとパイモンです。マルコシアスは力を失い、オセルは封印されているのでここでは雷電将軍とナヒーダについて検討していきたいと思います。

例外?

雷電将軍

「…、彼女は自ら命を絶ち、姉が「天上の京」へと赴き、稲妻を太平するのを後押ししたのだ。そうして。「眞」将軍は幕府を開き、稲妻を治めることとなる。旧情を想った鳴神権現は、「影」の神識を呼び戻し、身体を作り直すと「影武者」として彼女を御側付きとして置いた。」(『珍説』)

物語と作中の事実がリンクしているいうのは原神ではよくあります。「黯雲の島」(3章間章)は散兵の物語でしたし、「シェロイとシリンの物語」はジュラバドにおけるリルパァールの陰謀、ヴェルーリヤ・ミラージュにおける大盗賊と瓶にまつわる物語はイディアとアリスの出会いについてほのめかしていました。

上の『珍説』の記述は最後の七人という記述と整合するものです。

雷電影が肉体を捨てたのは将軍を作った後、つまり、カーンルイアの災厄後の話でした。果たしてこの肉体は本物の影の肉体だったのか、眞が作ったものなのか真偽は不明です。

雷電将軍にはまだまだ謎があります。他国と比べると建国神話に乏しいし、やけに強いですよね。影の武勇に関わる逸話ばかり残っています。これは、天空の島との距離が関わっていると個人的には考えています。稲妻はテイワットの端にあり、外海の危険に最も晒されている国で強くなければ生き残れないからです。

雷電将軍は元は何であったのかについても謎です。稲妻はまだ掘り下げる余地がある国だと思っています。

※「『珍説』という本に書いてあるのは事実です。あれは彼女が島のことで忙しくしていた頃のこと。私は影武者として、彼女の名を借り、軍陣に現れました。しかし、そのあとの物語は人々の憶測にすぎません。私は元々剣術に魅了された武人、民を感化させる美徳など持ち合わせていません」というのがありますが、上の記述と微妙にかみ合っていません。これは『珍説』の実装されていない巻と関係があるかもしれません。

ナヒーダ

新しく生まれた魔神と言えるのがナヒーダです。

もっとも、マハールッカデヴァータはナヒーダのことを「輪廻後の私」「本質は同じ」といっています。

ナヒーダの「魔神の格」はどこから来たのかというとマハールッカデヴァータだと考えられます。そうするとマハールッカデヴァータの魔神名もブエルだったのではないでしょうか。

運命の織機

アビスの使徒は穢れた逆さ神像の手に最古の耕運機の目を置くことで「新たな魔神」を創造しようとしました。

正機の神

魔神戦争の話の流れの中で出てくるので言及しますが「正機の神」は魔神ではないと思います。「創神計画」は元々成功する見込みのない計画だったと考えられます。なぜなら散兵は神の缶詰知識に耐えうる器ではなかったからです。「博士」もそのことをわかっていたフシがあります。

フォカロルス

フォンテーヌには魔神???(エゲリア)とともに魔神フォカロルスがいます。つまり、フォンテーヌには稲妻と同じように魔神が併存していたと考えらえます。

それを解消する理屈は上のように影のように一度死ぬか、ナヒーダのように実質的に同一であるとするか、あるいは、フリーナはそもそも魔神ではないという可能性などが考えられます。

もしかしたらフリーナに欠けているものというのは「魔神の格」であるのかもしれませんね。わざわざ魔神名を自分から教えてるのもちょっと不思議に感じました。

※ただしそうすると「神」の条件について改めて考えなければならず厄介な問題が生じます。

このように例外はありますが、魔神戦争を通じて魔神の数は減少しています。摩耗するばかりで原則として新しい魔神は誕生しないのでテイワットから魔神は消滅する運命にあると考えられます。

そうして来るのが人の時代です。

人の時代

神の時代から人の時代へ

「人の時代」に関連する話は鍾離の発言や花神の予言に出てきます。

魔人たちの墓碑の上で、人は諸神の神となる」という謎めいた予言を花神は残しました。

「神の目」も「神の元素」(七元素)を人の手に移す道具であると言えます。

もっとも、人が神になる動きもあってそれが「原神」です。

「原神」

ウェンティ:実はね、「神の目」の所有者はみんな、神になる資格を持っているんだよ。その者たちは「原神」と呼ばれて、天空の島に登る資格があるんだ。

つまり、花神がいう「人は諸神の王となる」というのは、「人」(=原神)により人と魔神の力関係が逆転するということではないでしょうか。魔神たちは解体され、元素の力は「神の目」を通じて人々の手に移る。

それでは「神」vs「人」になってしまうのかというとそうではない「第三者」がいます。それが旅人です。

一度目に世界が燃えたのはカーンルイアでした。その時は、カーンルイア(「人」)と七神(「神」)の衝突でした。

旅人の旅について

旅人は「世界の境界」(卵の殻)を補修する旅をしています。

マラーナの化身を討伐する金色のナラヴァルナの旅をなぞったのもこの過程の一つであり、また、天の釘を修理したのも旅人でした。「釘」は文字通り世界の穴を補修する道具のひとつだと考えられます。

また、この世界には異物が侵入してきています。世界の境界を乗り越えられるほどの強さを有するのが龍や鯨なのだと考えられます。降臨者もそうです。自分の中では大きい隕石が大気圏を通り過ぎても残っているのと似たようなものだと考えてます。

旅人がやっていることは天理の手助けです。世界のお掃除と修理をしています。

見方を変えるとこれは旅人(降臨者)の手助けがないと世界が維持できない状態となっています。アビスも獣域ハウンドもそこら中にいますしテイワットの免疫機能の限界が近くなっていると考えられます。

主人公サイドの選択は「神」の座につくこと、すなわち、この世界を救うことであると考えられます。しかし、それは自分の運命と世界の運命を紐づけることであり果たしてそれが正しいのかは疑問が残るところです。

おわりに

まとめるとフォンテーヌではエゲリアに魔神の格と使命が与えられたため、魔神戦争がなかったのではないか?ということです。エゲリアは「原初の水」からできた存在であり、水神としてこれ以上に資格のあるものはいなかったと思います。

本文では触れませんでしたが、エゲリアの話が少ないというのも魔神戦争への言及が見当たらない原因の一つであると考えられます。エゲリアについて知っていそうなのは純水精霊とフリーナくらいです。フォンテーヌ人にとっては劇に出てくる昔の神くらいにしか認識されてないと考えられます。そういう意味では眞やマハールッカデヴァータと違った寂しさがあります。

短いテキストですが「魔神の格」というものが登場してきてちょっと面白くなりました。「神の目」「魔神」「魔神戦争」についてもだいぶ進展がありそうです。

「魔神」ももしかしたら元は普通の生き物で不意に「ピース」を手に入れて魔神となってしまったのかもしれませんね。

次の更新でエゲリアが魔神戦争の話でも始めたらそれはそれで面白いですが、魔神戦争に関する情報は一通り整理できたのでよかったと思います。

とりあえず、今月の3本目はこれでおわり。フリーナの記事を書こうと思っていたら生放送が11/3に延期されてしまったので途中で放置しています。

(おわり)

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