セノ伝説任務でけっこう進展があったので、再び整理しました。できる限り文字数を削り、砂漠の歴史を掴めるようにしてみました。
※セノ伝説任務2幕ほかスメールの砂漠の世界任務に関するネタバレがあるので注意してください。
ver4.6のときに書いた記事なのですが、セトスの実装を待って確認したかったので今更新します。
砂漠の歴史
砂漠の歴史は一見すると複雑そうに見えるのですが、実はよく考えられていてシンプルです。
神話の時代・魔神戦争、ジュラバドの歴史、ジュラバドを巡って争った時代、それ以降の混乱期に分けることができます。この記事では「人」の時代を、ジュラバドの歴史(Ⅰ)、ジュラバドを巡って争った時代(Ⅱ)、それ以降の混乱期(Ⅲ)に分類して考えます。
最初に亡くなったのが花神、キングデシェレトの自滅、そして残されたマハールッカデヴァータが東の砂漠を開拓して森を築き上げます。
その時、楽土「ヴァリ・ヴィジャ」が荒れ狂う金色の砂に押し流され、三生魔神の一人が沈んだ。百年の混沌と迷いの中、彷徨う凡人の民は藩地を守った。そして我が主アフマルと緑樹賢王(マハールッカデヴァータ)は民を集め、オアシス楽園を再建する。その後、金色に輝く王の統治時代が終わるまで守り抜いたのだ。
砂漠には大きくわけてキングデシェレト信仰、タニットのような花神(ナブ・マリカッタ)信仰があります。花神の信仰者が求めたのは永遠のオアシスでした。
一方、キングデシェレトの信者にはというと「聖地」ジュラバドがありました。
王権が自分の支配の正当性を示す手段は色々あります。例えば、ジュラバドのように聖地を実効支配していること、血統(生まれ変わりであることも含む)、レガリア(王冠、剣、尺、玉璽など)を所持していることなどです。
砂漠の歴史でいえばカブスベイはホラムディンの正統な跡継ぎを自称していますし、サイフォスは「聖顕の鍵」を所持していました。
現実と同じで聖地がある場合は争いが起きるものです。ジュラバドが「聖地」化しており、諸王はこの王座を巡って争います。
今回の記事で扱うのはⅡとⅢの時代です。ジュラバドが滅び、キングデシェレトが自己犠牲を選び、七柱も散り散りとなった時代です。
キングデシェレトの七柱
このあたりの話は沈黙の殿にいるアセナトから聞くことができます。
キングデシェレトと七柱。ティルザードはこれを見て「権力の構造」を象徴しているといいました。
ヘリシャフ、トース、ソベクは三人の佞臣として『アフマルの物語』に出てきます。この物語だとアフマルの禁忌の知識にきっかけを作ったのがワニの王になっています。
そして、アフマルの周りにいる三名の佞臣(無数の呪いが降りかからんことを!)が、王に策を献上した。
「我々の陛下、世界の主、大地四方の王、凡人とジンニーの支配者よ——」
羊の王、首相の中の首相はこのように媚を売った…
「誠に僭越ながら、陛下もご存知のはずです。昔の夢に溺れ、哀想に酔いしれるのは長期的な解決策ではありません。大地の上の権力と知恵は限りなく広く、天国を越える数多の宮殿を築き、民に悩みのない未来を切り開くのは簡単なことです。」
「却下。」アフマルは眉間にしわを寄せながら答えた。羊の王は黙った。
「我々の陛下、空の跡継ぎ、魔神の征服者、賢者たちの頭領よ——」
トキの王、書記の中の書記はこのように諌めた…
「数千年前、知恵と歴史は天罰によって散った。より良い未来のために、君王は過去を掌握すべきである。現在のオアシス王土には『今日』の知恵が秘められているが、『過去』を取り戻そうとするならば、早く行動しなければならない。」
「却下。」アフマルが杖で地面を叩く。トキの王は黙った。
「我々の陛下、砂丘とオアシスの主、生者と亡者の案内人、諸元素の使い手よ——」
ワニの王、統帥の中の統帥はこのように進言した…
「失われた命を呼び起こし、失われた機会と夢を取り戻すには、これが最後の好機である。権力が高ければ高いほど、虚しさが増える。知恵が多ければ多いほど、悲しさが増える。妄想の虚しさに比べれば、底なしの後悔を補えるのは、復活した不老不死の命だけだ。」
アフマルが沈黙した。
「よかろう。」
ソベクとトースについては『召喚王』にも出てきます。
錬金術イベント(ver4.5)でもらったので一応錬金術に関連するテキストです。ヘルマヌビスもケーリュケイオン持っていましたね。
キングデシェレトに仕えた七人の賢者が姿を消した後は、その功績も風にさらわれ、石に刻まれた名前だけが残された。しかし、今や石に刻まれた名前さえも時と共に蝕まれ、黄金のような砂になり果てた。
赤砂の副王、七賢者の長、卿相の中の卿相——羊の王。
太陽のもとへと飛んでいく鳥、王の魂——聖者ベンヌ。
ライオンの身体と人の顔を持つ者、王の意思——聖者シェセプアンク。
そして最後に、王の血肉を授かったが、自らを七賢者に属するとは考えてない龍——アフ・アペプ。
上記の四名はこの物語とは関係がない。
ワニの王とトキの王は常に言い争い、その日も彼らは物質の転換について論争していた。
ワニの王は不思議な術に通ずる者を探してきた。この地に留まる純水精霊の祝福を受けたために、その手で触れたあらゆる液体が、適切な調合によって美酒へと変わっていくのだと言う。
トキの王はもう一人の才ある者を呼びつけた。それは、古の魔神の墓に入り、誤ってその死骸に触れたために呪いをかけられた者だった。その手で触れたあるゆるのものは純銀へと化していく——今では、物を黄金やモラに変えるのは、貴金の神にだけ許された神業であるにもかかわらず、である。
二つの不可思議な転換は果たしてどちらが勝つのか…二人は賭けをした。そして、彼らはヘルマヌビス——七賢者の最後の一人——に結果を予測するよう頼んだ。
ヘルマヌビスは砂漠の賢人であり、祭司たちの長でもあった。さらに彼は勇者であり、賢者でもあった。人には錬金術という学問があるが、彼もそれに精通していたため、判断を彼に委ねるのは合理的だと言えた。
「二つの偉大な力は相対し、まるで鋭い矛と堅い盾のようだ。」ヘルマヌビスは続けた。「二者はそれぞれ一歩譲るであろう。それが均衡の理だ。」
結局、杯は純銀となり、砂を含んだ水は銀の粒こぼれる美酒となった。
しかし、ワニの王とトキの王はヘルマヌビスの忠告に耳を傾けることなく、論争を続けた。その後、彼らは奇妙な召喚魔法を発明した。ワニの王とトキの王は千年を越えてもなお、七聖召喚の戦場であの時の勝負を続けている…
それが所謂、『召喚王』の物語である。
今回の伝説任務ではあの「決闘の儀」が登場するなど『召喚王』ファン向けのサービスもありました。
トゥライトゥーラの歴史
とりあえず年表風のものを作ったのでこれをベースに説明したいと思います。このあたりはプライマルオベリスクに書いてある内容を再構成したものです。
砂漠の歴史は大きく分けて実はこれだけしかありません。Ⅰより前の時代は神話の時代で、花神、アフマル、マハールッカデヴァータが同盟を結んでいた頃の話になります。
青い部分がジュラバドとトゥライトゥーラの支配が重なっていたと考えられる時期で、緑色の部分はジュラバド以外の場所に都をおいていたと考えられる時期です。
トゥライトゥーラは砂漠の都市国家の一つです。
トゥライトゥーラはジュラバドより早く成立していた都市国家でした。キスラの時代には朝貢していたことが分かっています。
ジュラバドの興亡
これについては「ジュラバドの物語」というかなり長い記事があるのでそちらに譲ります。
ジンニーのリルパァールはオルマズドに期待していたのですが、彼はその愛に報いることができず、三代にわたって呪われることになります。オルマズドが作った国が、キスラ・パーヴェズラヴァンの治世に最盛期となり、そして「黄銅の仮面」による反乱、ホラムディンによって滅びるというものでした。
アフマルはこの事件に心を痛め、リルパァールの魂を七つに分割して、七人の賢者に与えました。旅人は、世界任務を進めて、この欠片を集めます。アフマルはこの封印の鍵を旅人が解けるものにしていたことから、リルパァールにも救済の道を用意していたと考えられます。
ジュラバドが滅亡した後に、砂漠のオアシスの歌い手であった魔神レムスがフォンテーヌへと向かいます。
ここから時間がさらに空き、キングデシェレトは「禁忌の知識」による汚染を引き起こし、自己犠牲を選びます。こうして指導者を失った砂漠の人々は統一と分裂を繰り返し、次第に衰退していきました。
キングデシェレトが没した後に七柱のうち六柱の集まりがありました。
アペプはキングデシェレトから禁忌の知識を譲り受けたので集まりに出席しようとしてもできなかったと思います。
ヘルマヌビス以外の5柱がどうなったかについては今のところ分かっていません。ヘルマヌビスはティナル人と一緒にトゥライトゥーラに「沈黙の殿」を作り、人々に害をもたらす知識を遠ざけることに生涯を費やしました。
アフマル没後の混乱期(Ⅱ)
まず時期が問題になりますが、「ジュラバドの壊滅からすでに…年、砂海の主…姿を隠してから幾年」とあるので以下はアフマル没後の話だと考えられます。
まず最初に出てくるのがラムシャフ王。彼は七つの高塔を建設します1。七つの元素に基づき、七つの方向に塔を建て、七人の智者を置いてそれぞれ王を建てた。ラムシャフ王はこれらの王の中の王となりました。この国々の中にはトゥライトゥーラ、サレハなどがありました。
ジュラバドの壊滅からすでに…年、砂海の主…姿を隠して幾年、隠されし覆面の王ホラムディン(Khorramdin)の正統の跡継ぎ、カブスベイ(Kavusbay)は遠い追放から帰還…ラムシャフ王(Shah Ramshahr)のため、砂海の…マルが彼を呪い、七千世も続くことを祈らん、もしアフマルが健在していたなら、絶対にこのような乱行の拡散を許さないだろう。
大王…大量虐殺…百千もの宮殿を破壊…烈火は…まで焼き…皆が道連れと…
…そして民から略奪して都を豊かにし、さらには丘の廃墟に七つの高塔を建て…
七つの元素に基づき、金色に輝く大地にて七つの方向に塔を建て、七人の智者をその上へ…玉座を建て…臣民をそれぞれ率いて諸王とす…そうしてラムシャフは王の中の王となった。
ラムシャフの死後、ハガンが分立する時代になります。ハガンは可汗、すなわちハーンの事です。砂漠の物語では「藩王」も出ており、用語の使い方にこだわりがあるのかはわかりません。
…ラムシャフ王(Shah Ramshahr)…死した後、幼い子アータヘル(Artaxir)がその座を継いだ、…のため…アータヘルが死…相国(『逆賊』という言葉がその上に被せてある)トゥランハガン(Turan Khagan)が摂政…
…悪人トゥランハガンが討伐され、その三人の子ともに…の刑に処された…フマーユーンはラムシャフの姫と…結婚し、フマーユーン・グルカン王(King Humayun Gurkan)と…
…年目、フマーユーン・グルカン王はジンニーの乱にて命を落とし、その首はサレハの都へ送られ…国土では、すぐに三十もの王が並立したが、数年のうちに、皆横死した…
…ガルサスプ(Garshasp)は匪賊を倒し、諸王は服従し、ムアザムハガン(Muazzam Khagan)とし、すべてのハガンの大ハガンとなり、ジュラバドを廃し、…を都とした…
…ガルサスプハガンが死に、都は七日間の大火に…民は…サファイアの都トゥライトゥーラまで歩き、役人、職人、または芸者へと身を…
それぞれがハガンを自称する時代を終わらせたのがトゥライトゥーラのグーダルツでした。彼はジュラバドに攻め入り、七大高塔の秩序を取り戻します。彼は自分の号をサリブ・ドーレイ王とし、彼の治世は「蒼暮細雨」という安定した時代が訪れました。
…トゥライトゥーラの…グーダルツ(Goudarz)は…ハガンを僭称する逆賊と…三日も…当初は敵わなかったが、神景が顕れてグーダルツに助力し、逆賊の手下を撃退した…
…ジュラバドにいる…は消息を耳にした後、風ですら追いかけられない大地の境界まで逃げた。ただ、その兄の捕まえようとする手から逃れるため…
…グーダルツはサファイアの都であるトゥライトゥーラから離れ、大層な勢いで…風が永く哀歌を歌うジュラバドの王宮へ入り、
七大高塔の城の民に帰還を命じた。
「中原」よろしくジュラバドという地が砂漠の民にとっては重要な意味を持ったと考えられます。こうしたジュラバドを捨てたのが港の城オルガナの王ムザファールデイズでした。
※デイズ(Dey)には、フランス占領以前のアルジェリア太守、オスマン帝国下のトリポリ(リビア)やチュニス(チュニジア)の主権者などという意味があるらしい。
ジュラバドを廃した後の時代(Ⅲ)
オルガナはおそらくオルモス港あたりにあった港市国家だと考えられます。ムザファールデイズは戦争でサリブ・ドーレイ王を破り、ジュラバドを燃やしました。そして、この地を放棄して、オルガナにも戻らず別の場所に都を建てました2。
ムザファールデイズ(Muzaffar Dey)はサリブ・ドーレイ王(King Saleb Dowleh)に大勝。これすなわち、「兄弟のように親密な百人の仲間は、考えの異なる百万もの大軍に勝る」なり…サリブ・ドーレイ王およびその兄弟、子供、甥みな処刑に遭い、ムザファールデイズは…に命じ…老いた王の両目を…
…ジュラバドが燃え上がるさまを再び見届けられるように…
…そして不吉なジュラバドを捨て、オルガナにも戻らず、他のデイズと同様、他に都市を選び都を建て…
ムザファールデイズはオルガナの人であり、キングデシェレト信仰を持っていなかったと考えられます。だから彼はジュラバドを破壊して放棄してしまいました。これ以後、ジュラバドの歴史は途絶えます。
ジュラバドの門の近くのソベク像の頭部が壊れているのですが、これは自然に壊れたというよりは意図的に破壊されていると考えられます。これはキングデシェレトとその七柱に対する信仰を共有しない者の犯行だと考えられます。
※「黄銅の仮面」の反乱が原因である可能性もありますが、彼らは「主人」への復讐を考えた過激派であり、キングデシェレト信仰を捨てていたかどうかは不明です。
ジュラバドが重視されなくなった他の原因としては『シェロイとシリンの物語』のような物語の流布も考えられます。こうした代わりに出てきたのがアフマルの秘宝(「黄金の眠り」)の伝説だと考えられます。
ムザファールの子が「緑の王」ズムルドです。ムザファールは彼に対し、跡継ぎがいなかったサリブ・ドーレイ王の悲劇を繰り返すことがないようにできる限り子孫を残せと忠告します。そのため、ズムルドは99人の子がいました3。こうなればオチは見えたもので、王の死後、国は分裂して争うようになります。
ムザファールデイズは「緑の王」ズムルドに、後継ぎがいなかったサリブ・ドーレイ王の悲劇を再演することのないよう、ザクロの果実のように、できる限り子孫を残すように言いつけた。
※子供が沢山いるエジプトの王というとラムセス2世(オジマンディアス)を思い出します。
99人の子の中で有力だったのがバッダナーで彼の下に争いはいったん収まります。
ここから記録が飛び、バッダナー晩年の話になります。彼が逝去した後に、幼王ファラマーツが擁立されます。ここで紆余曲折があって、最終的にはファラマーツが追放されて、トゥライトゥーラは滅亡してしました。
…新王の若さ故に、摂政王妃トゥライトゥーラのマカイラ(Makhaira)は重臣を招き、事を議す…
…その叔父、トゥライトゥーラ城主、相国バラシュ(Balash)に譲位…ファラマーツは座を降りて緑殿へ移る…
…国舅ゴーラツは兵を上げ、ファラマーツを擁立…ファラマーツは緑殿へ移り、ゴーラツ太師(Goraz)はマカイラとの共同摂政を…
…ゴーラツは王を名乗り、マカイラを妃とし、ファラマーツを追放…
……
…トゥライトゥーラの高官たちは反乱を起こし、バラシュの復讐だと旗を揚げた…ゴーラツは殺害され、摂政王妃マカイラはその生首に皆の怨念を受け…ファラマーツ王を迎えた…
……
…サレハの都で再度反乱し、自らハガンを称し…摂政王妃がそれを鎮め…
…十二叔父…逆…正統…王と称し…戦争…荒れ果てる…農民は土地から逃げて流浪人となり、流浪人は奴隷兵士として召集され…
…戦争は平定され、ファラマーツ王は再び王座に即く…王妃マカイラ…マムシの猛毒…三日ほどで死…
…奴隷兵士は市民と結託…ファラマーツ…雨林へ追放…
これにより、砂漠の都市国家は消滅し、残されたのはアアルだけになりました。
砂漠の民は慣れた宮殿と遺跡を離れ、大地の境界で新しい住処を築いた。
その住処を神の昔の夢にちなんでアアルと呼び、静かにアフマルが蘇るのを待っている。
砂漠の歴史はこれでおわりです。
「沈黙の殿」
実はこの組織はver3.1から言及がありました。
六柱の集まりが終わった後にヘルマヌビスが建設したのが「沈黙の殿」。これはキングデシェレト没後に彼の知識を整理するのが目的でした。しかし、前述のようにキングデシェレトの没後は王国が乱立してトゥライトゥーラも戦火に飲まれてしまいます。
そのため、一部の人間はトゥライトゥーラのティナル人とともに雨林へ避難しました。そのまま雨林に定住した者もいれば、砂漠に戻る者もいました。後者が今の「沈黙の殿」を作り上げた人間だと考えられます。
この後に「沈黙の殿」は教礼院と協力関係を結ぶのですが、ある日それが途絶えてしまいます。約400年前という具体的な時期を出しているあたり、何かこれも続きがありそうな予感がします。
約400年前って原神ではわりと重要な時期で例えばたたら砂の事件もこのあたりであると言及されていました。アランの発見も最初は400年以上前という言い方をされていたと思います。
「沈黙の殿」が管理していた知識も人間に害を与える知識というものです。いかにも意味ありげな感じがします。
まとめ
気になった点
・なぜトキの王の像がこれほど多いのか?
・ヘルマヌビス以外の5柱の行方は?
砂漠を探索する機会があればまた色々新しい発見ができそうですね。
砂漠の歴史はやや複雑に見えるのですが、整理すると実は筋が通っていてわかりやすい歴史です。
この記事では主にジュラバド滅亡後の砂漠の歴史をもう一度検討してみました。ジュラバドとトゥライトゥーラという二地域に絞ることで前とはまた違った見方ができたような気がします。
セトスがサイフォス槍っぽいものを握ってたのでトゥライトゥーラに関する新情報もありそうです。サイフォスの月明かり、マカイラの水色(、彷徨える星)はいずれもトゥライトゥーラに関係するテキストでした。
「沈黙の殿」の話にはまだ続きがあります。ver4.7のうちにできたら続きを書きたいと思っています。
補足:プライマルオベリスクの時系列は?
大赤砂海のプライマルオベリスクの時系列を見かけなかったのでまとめておきます。これは私の推測なので正しいとは限りません。冒頭の文字だけ記しておきます。
①「ジュラバドの壊滅からすでに~」⇒②「私は三日後に去り~」⇒③「石碑に刻まれている銘文は~」⇒④「碑銘の内容は何度も直され、~」⇒⑤「この石碑にある文字は~」⇒⑥「オベリスクの周りは~」⇒⑦「碑銘の初めに~」、⑧「このオベリスクは~」、⑨「この銘文はまったく~」、⑩「この銘文の刻まれた~」
(おわり)
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