「心臓」について考える

原神

久しぶりの更新です

「心臓」をベースに色々書いてみたら思いのほか広がったので独立の記事にしました。今までの魔神任務の復習にもなるし、色々な伏線を再検討するのにちょうどいい感じのテーマです。

ver5.3までの魔神任務・世界任務・伝説任務(部族見聞)の内容が含まれているのでネタバレに注意してください。

心と頭

古代エジプトではミイラを作る時に心臓を重視して、脳が捨てられていたというのを子供のころに聞いて驚いた覚えがあります。その取り出し方がけっこう衝撃的で…。ヘロドトスの「歴史」に書いてあります。

心臓は重要な臓器であり、特別な扱いを受けていました。オシリスの審判では、マアトの羽と心臓を天秤で比べ、心臓が軽ければ魂が安息を得るとされました。

羽で心臓の重さを量り、熔鉄で精神の重さを量る――それは無私の理性による支配であった。
神王の裁きに従って、血に根ざした法律が砂漠の楽土に刻まれたのである。
――「裁断の羽」

どっちも大事と言われればそうなのですが、頭と心臓で二つ大事なものがあるのは不思議。精神・意識と言われれば私は頭を想像しますが、感情というときはなんとなく心をイメージします。

ぐっすり寝て頭がすっきりする時は頭、悲しいときは「心が痛む」、喪失感を味わうときは「胸に穴が開く」、他人の気持ちに対し「胸が苦しい」というように感情を語る時はどちらと「心」を意識しているような気もします。

マヤ・アステカ文明でも「心臓」は重要な意味を持ち、神への捧げものとして使われていました。チャクモール(Chacmool)という独特なポーズをした像について聞いたことがあると思います。

チャクモールは死んだ戦士を象徴し、神へいけにえなどの供物を運ぶ存在と考えられていて、チャクモール像の上で人身御供の儀式がおこなわれたり、チャクモールのもつ皿の上に取り出された心臓が太陽への捧げ物として置かれたといわれる。1

なぜこんなことしてたのかはわかりません。私は自然界のバランスを取るためだと思ってます。例えば天災や疫病など理解できないことが起きたらそこに「神」の意志を感じたことでしょう。逆にイイコトがあっても人はそこに「神」の意志を感じます。神に対して何の「恩返し」ができるかというと…感謝を述べること(お祈り)と神から与えられたもの(命)を返すこと。

聖書に「イサクの燔祭」という話があります。アブラハムが息子のイサクを捧げよという神の命令を受けます。祭壇まで連れていき刃を振りかざすのですが、そこに天の使いが止めに入った。これは神への絶対的な服従を象徴する物語ですが、人身御供をやめよというメッセージが込められているという解釈があります。

この物語の差が両者の犠牲の考え方に違いをもたらしたなら興味深い話です。

まあ、こう考えても結局「人」ではなく「心臓」である理由にはならないのですが、このように心臓にはいろいろな物語があります。

ドゥリンの心臓

ドラゴンスパインにある「心臓」のようなもの。ドゥリンは完全に死んではおらず復活の可能性が示唆されていました。

「お母さん、ありがとう」
「空を飛ぶ翼と、丈夫な体、全部お母さんがくれたもの」
「僕は、美しい歌声がある場所に行きたい」
「皆のことや、お母さんのこと」
「僕の生まれたところが、どんなに美しいか。全部、彼らに伝えたい」
――「腐植の剣」

「シムランカ」のストーリーですが、私は個人的にこのテーマは「名前」だと考えています。どうやら造語のようですが、ランカはおそらくスリランカと同じランカ、つまり島。simはシミュレーションでしょう(英語+サンスクリット語なのは…)。

こう考えるのは「テイワットは『名前』によって縛られているのではないか」というわたしの推測があります。「運命」に名前がかかわっているのではないかという推測です。まあ、いまのところ根拠が全くありません。

名前被りを極力避けているというのが一つの根拠になりそうですが、パルジファルやアウレリウスのようにごくまれに名前の被っているキャラがいます。

シムランカはある種のシミュレーションでした。ミニテイワットと言っても過言ではない。「ドゥリン」という名前の龍がテイワットと独立した「シムランカ」という世界で別の運命を歩むことができるのか…という実験です。

名もなき人形は旅人という「変数」によって名前を与えられ、運命の束縛を抜けることができました。「博士」には復讐する気が満々ですが。彼が過去の「運命」の束縛から逃れられたのは実は旅人に「名前」をつけてもらったからではないかということです。

(もっとも「神の目」をもらったということはまたテイワットに縛り付けられたのではないかという疑問もあります。)

ちびドゥリンがどう関わるのかについてはこれからのお楽しみに。

「淑女」の心臓

ロザリンを倒すと心臓をドロップします。

本来の力を発揮した「淑女」を倒して手に入れた、大きな力を秘めた異形の欠片。
涙でさえも炎をかき消すことはできない。熔銑の如く熱い悲しみと怒りが血管を駆け巡り、涙腺からあふれ出る。
彼女の心が永遠の火に焼かれる前に、最初の愚者が彼女を見つけ出した。彼は分かっていた。より深い憎しみと妄念のみが、彼女を蝕む炎を消し去り、彼女を仲間にすることができると…
――灰燼の心

ロザリンの燃えるような憎しみを象徴するのがこの心臓です。

この炎の能力をどういう過程で手に入れたのかは謎です。彼女は氷の邪眼をもちいてこの力を抑えていました。

「散兵」の心臓

「神の心」の器として作られた散兵は(おそらく無意識的に)「心」を求めていました。

丹羽:拙者の心臓を…彼に渡すのであれば…彼に伝えてくれ。長正さまも…拙者も…みな、彼のことを…仲間だと…思っていると。彼が…自らを証明するために、何かをする必要はない…人と人の間は…利害だけではないのだ。そうなるのは…博士とやら、おのれのようなやつだけだ…
――魔神任務間章3幕

400年以上前の稲妻の出来事、フォンテーヌの機械職人エッシャー(「博士」)は丹羽を殺してその心臓を奪い、ある装置に入れました。「人形」はそれを受け取り、御影炉心の暴走を止めました。

人形がエッシャーから与えられた装置を開けると枯れた心臓が出てきた。これは丹羽が逃走する前に罪なき他人を殺して奪ったものだと伝えられた。人形は怒りと悲しみで心臓を叩きつけてその場を立ち去りました。

彼が「心」を手に入れたのはスメールの魔神任務においてです。この任務は「神の心」の力が旅人ヘ向いたらどうなるかというある種の実験でした。それまでの魔神任務ではいまいちよくわからなかった「神の心」が敵にまわったらどうなるか。

スメールにおける「神の心」というのには二つの意味があったと考えています。1つはテイワットの「ルール」を構成するであろう神の心、もう一つは文字通り神様の心です。

ナヒーダは「民の心」が分からないし、スメール人も「神の心」が分からない人たちでした。亡き前神マハールッカデヴァータに対する民の信仰はあつく、クラクサナリデビはスラサタンナ聖処に引きこもった神でした。ナヒーダは夢の世界を歩き回れるようですが、スメール人は子供しか夢を見なかったので神と出会う機会がほとんどなかった。

伝説任務1幕だとそのあたりの温度差がよく書かれていました。それが徐々になくなって言っているのが今のイベントだと思います。

神と人の付き合い方は様々な形で描かれていますがスメールの在り方が個人的には好きです。

余談ですが個人的にはナド・クライ-「博士」と放浪者-ドゥリンがつながるんじゃないかと思っています。「博士」の話がくるならやはり放浪者も登場するでしょう。

ナヴィアの心臓

「棘薔薇の会」のロゴマークは心臓(心脏)みたいな形をしているらしい。

ナヴィア:棘薔薇の会のロゴマークはママがデザインしたんだよ。あたし、すごく気に入ってるの。ほら、まるで心臓みたいな形でしょ。(世間話・ロゴマーク)

心臓と言われればそんな気がしなくもない。ここから分かるのはテイワットのヒトも「心臓」を持っていることでしょうか(当たり前ですが)。なんとなく記憶に残るセリフでした。

「富者」の心臓

彼のエピソードで「黄金の心臓」というワードが出てきます。モラが血液だとしたら心臓は岩神のことでしょう。

シトラリの部族見聞任務でも出てきましたが、やっぱり悪そうな人。

「黄金の心臓」とはファトゥスの「富者」がよく使う言葉です。お金を血液だとしたら、それを送り出すのは中央銀行。テイワットの金融システムはいまいちよくわかりませんが、とりあえず璃月の造幣局「黄金屋」とスネージナヤの「北国銀行」があります。

神がかかわっている金融システムではなくて、「人」が創り出したシステムに置き換えたいというのが狙いでしょう(その実験がメロピデ要塞の「特別許可券」)。

金銭が流通する軌跡は、世界の静脈を構成する。
ならば世界の中心とは、黄金の心臓とも言えよう。
――「停頓の時」

「人」は金銭の奴隷ではなく主たるべきで、
黄金の心臓は「人」の世界のために拍動するべきなのだ。
——当然、真に金銭を所有できる者はいない。
それは結局、我々「人」の手を経由して、
世界の片隅から時間の終結へと流れるにすぎない。
ゆえに最も理解し難いことと言えば、
いわゆる「世界の片隅」が選ばれ、制約を受けること。
ゆえに最も受け入れ難いことと言えば、
そもそも我々「人」に属するべき偉業が、
いわゆる「神」という代物に横奪され、制約されること。
それこそ我々が取って代わらねばならない理由。
金銭の心臓が異郷の「神」に奪われた以上、
彼らはしばらく人々を奴隷のように酷使することができる。
たとえ黄金の心の持ち主になることはできずとも、
すべての人に平等に金銭を掌握させるべきだ。

「厳冬計画」の担当者としても名前が上がっている「富者」。出番はいつ来るのだろう。

エリナスの心臓

世界任務「古き色合い」

ジェイコブは血を集めるためにエリナスの心臓を活性化させました。迷惑な話ですが彼にとってはかつて自分の命を救ったものだったから「恩返し」の意味も含んでいたのかもしれません。

エリナスは自身が蘇ることによってメリュシー村がぺちゃんこになってしまうと困るので、心臓を止めた旅人に感謝をしました。

エリナス:ワタシの心臓を止めてくれてありがとう。

エリナスは「ママ」に身体を与えてもらったことで初めて地上の暖かさを知りました。しかし、彼女の存在は他の多くの人を傷つける結果をもたらしてしまいました。

メリュジーヌの姿もあっていつもよりしんみりした任務でした。

この龍の心臓はおそらくドラゴンスパインにあるドゥリンの心臓に近いものと考えられます。長い時が経っても死なない心臓とはいったいなんなのか。

原初の海の「心臓」

ここの心臓というのは水元素に対する支配力(及びその所有者)のようなものだと考えられます。血液はそれだけではただの液体ですが、心臓が循環し、必要な物質と不要な物質の運搬という役割を果たします。

フォンテーヌには次の神話が伝わっています。原初の海(おそらく原始胎海)の成分は血液に似ていて、それを支配していたのが原初の水の龍であり、最初の心臓でした。

元々の心臓が取り除かれて、新しく天の使い(「天空の島の使者」)である「聖霊を創造する使命を背負った統率者」によって別の心臓が作られました。これがエゲリアだと考えられます。エゲリアは「原初のかの人物」のピースを授かり魔神の格と神聖な使命を与えられた。

伝説では、原初の海の成分は血液に似ていて、生命は最古の海水に浸ると一つに溶け合ったと言われている。陸と空に足を踏み入れるべく、生命は血管を進化させ、そうすることで原初の海を体内に留めようとした。そして原初の海すなわち血の海を支配した心臓こそが、原初の水の龍である。心臓の鼓動が聞こえるたび、あらゆる生き物が繰り返し立ち上がり、そして跪くという。
(中略)
元々の心臓が取り除かれた後、天空の島の使者であり、聖霊を創造する使命を背負った統率者は、原初の海に別の心臓を創り出した。龍の如き気高さがありながら見た目は龍にあらず、神の如き威厳を纏いながら神聖な使命を持たない。君主の手で創られたが、素材と性質はこの世界に由来し、外来する要素は一つもない。

彼女は胎海に滴る涙の一滴である。交流と理解を追求し、それ故に涙を流す。まさにその慈悲の心のせいで、純水の生命が軽々しく口にはできないような原罪を犯す。
――「慈水怒濤の翼」

フォンテーヌはこの心臓の力が「神座」という形で水神の力となっていました。魔神フォカロルスは自らを犠牲にその力を「龍」に返しました。

ヌヴィレットの持つ原始胎海の水をコントロールする力、フォンテーヌ人を完全に人間にした力。ヌヴィレットの言葉を借りれば「水元素を掌握する絶対的な力」(古龍の大権)。

フォカロルス自身がこの力を行使すればよかったのでは?と思うかもしれませんが、十全な力を行使するのが無理だったのと魔神にも強弱があること(塩の魔神ヘウリアなど)等の理由が考えられます。だからフォカロルスには自分の力で予言を回避することができなかったのだと思います。

フォカロルスはものすごく遠回しなやり方で龍との和解を果たしました。「龍」からすれば奪われた力を取り返しただけなのですが…。

——ヌヴィレットは水の龍である。彼は確かにメリュジーヌを自身の眷属であり後継者、すなわち最も優れた新世代の水のヴィシャップだと見なしている。しかし、それと同時に彼はこの世界の秩序を壊す者であり、神々の審判者、人類の敵でもある。彼はなぜメリュジーヌのために人間の権利を勝ち取ろうとするのだろうか?
旅人を除いて、そのことを彼に質問できる者はいない。そうして彼はこう答えた——「メリュジーヌたちは人間と一緒にいることのほうが好きなのだ。どうしようもできない。」

裁判を見続けたらふつうは人間の暗い部分ばかり見てしまいそうですが、ヌヴィレットはそうでなかった。いわゆる裁判のエンタメ化にもそういう意図があったのかもしれません。そこに人間の奥深さを見たのでしょう。

イレールの心臓

イレールとは世界任務「心の扉開いて」(ver5.2)に登場した聖龍イ・クェクシ・ツボロン・ク・レールのことです。旅人とパイモンはオシカ・ナタを探索中にしゃべる石像と出会いました。その石像は旅人たちに「心臓」を探すようにお願いした。

その「心臓」はというとこれです。集団記憶装置のことを「心臓」といっていました。太陽のマーク(?)があります。

完璧で傷一つない宝玉。人類によって文明の篝火が灯される前、チチェンウトゥを統治していた聖龍イ・クェクシ・ツボロン・ク・レールの心臓。
本来は禁城オシカ・ナタのあらゆる装置に命令できる権限を持っていたが、今はエネルギーの消耗によって使用できなくなっている。
完璧を追い求める不完全な人と同じく、完璧を追い求める龍の主も、結局は石のように冷たい末路を辿った。

彼女(?)はチチェンウトゥを統治していた聖龍で、オチカンに裏切られたと言っているのですが、その詳細はまだよくわかりません。

ロノヴァとマーヴィカの交渉からすると初代の炎神シュヴァランケもここで死の執政と取引をしたらしい(ただし「隊長」と違ってシュヴァランケの身体はなくなっている。おそらく「不死」の呪いがないから)。「聖火」がいつ頃いまの聖火競技場に移されたのかは謎。

「隊長」の心臓

隊長:…この心臓はカーンルイアの技術によって改造され、地脈の中にある記憶と魂を知識に変換することができるようになっている。副作用は…お前と同様、魂に敏感になり、周囲にあるそれらを感じるようになることだ…五百年前の災害の後、あまりに多くの魂が帰る場所を失った。だから俺は心臓の学習機能を放棄し、器として使うことにした。戦友たちの、そして多くのナタ人の「命」が、ここに宿っている。

この話を聞いた時??でした。先ほどの聖龍の話を思い出してなるほどと考えたりしました。おそらく「記憶」とは別の形でデータとして保管することができるということだと思います。

私たちはよく「心に刻む」ということをいいますが、文字通りの意味もあったのではないか。

??:その新たな心臓には無限の可能性がある。己の勇と忠誠をもって君はそれをものにした。ゆえに「天柱騎士」の称号を授けよう。地の国を支える四柱の一本として今後のカーンルイアの栄光を守りたまえ。

帝国の「四柱」という話はかなり昔(3.5)に出てきたのですが、その内訳はよくわかっていませんでした。私は『ペリンヘリ』に出てくる「王国の最強」の四人(ないし四家)だと思っていました。

「いつも黒駿(黒狼)を連れているニョルド、深秘院で最も戦闘に長けるアルフ、半数もの騎士を率いる将領アルベリヒ、そして無敗のペリンヘリ。」アンジェリカは、自身の思う王国の最強候補を挙げた。

このスラーインに「天柱騎士」の称号を授けてる人物はコロタールと似ている服装から見るにカーンルイアの貴族でしょう。ただ、片目を隠していないため「国王」に近い存在ではないと考えられます。

おわりに

注目すべきは聖龍の心臓も隊長の心臓も「記憶装置」としての働きをしているところでしょう。

テイワットの記憶は世界樹によって規定されている、その「法則」から外れているのが降臨者である旅人である。それとは別に「ルール」から外れた記憶装置があって、心臓もそうなのではないでしょうか?

心臓を記憶装置と考えるのはやや違和感がありますが、こうすることで魔女会のニコについての仮説が立てられます。彼女が世界樹から独立した観測ができるのは龍の心臓を持っていたからではないか?ということです。

「心臓」をテーマに今までのストーリーを振り返ってみました。こう並べるとファトゥスと龍絡みの情報ばかりなのに気づきます。スメールの「心」についてどこかで書きたかったのですがようやくかけました。

先月は更新サボりましたがしばらく更新頻度は落ちそうです。やりたいこと多すぎてパンクしそう。ナタぷれい日記(5.3)を書いていたのですがこっちの方が先に終わったので上げます。日記のほうはもう少しお待ちを。


  1. https://w.wiki/ChrV ↩︎
ManQ

原神も5年目となり新しい楽しみ方を探すべくブログを始める。
ストーリーのテキストをじっくり拾って読むのにはまってます。
神話は詳しくないので頑張って調べてます。

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