ヴェルーリヤ・ミラージュの記事がうまくまとまらないので短めの記事を更新します。
ここの問題はなんかややこしい感じがするので一度整理したかった。台座と像に関する話。
3章5幕までのネタバレが含まれます
記憶に残った場面
個人的にはモンドでパイモンが旅人に神像を紹介する場面、魔神任務の鍾離、スメール冒頭の会話などが印象に残っています。
スメール冒頭の会話
ここの部分がずっと引っかかっていました。なぜなら今の草神がクラクサナリデビなら神像はクラクサナリデビであると考えられるからです。当然の前提として今まで気にしたことはありませんでした。
しかし、3章5幕でご存じのとおり、マハールッカデヴァータとクラクサナリデビは全く同じ姿をしていました。そうすると、結局どちらの神像なのかがよくわかっていないのです。
振り返ると、雷電眞と雷電影も双子でどちらであるのか断定できないことに気づかされます。風神と岩神は交代していないので、この点については特に問題にはなりません。
モンドと神像
今となっては懐かしいのですが、旅の始まりでパイモンが旅人に神像を紹介する場面があります。
旅人は、①旅人は神像に触れるだけで元素力を扱えるようになる、②一度に扱える元素は一種類だけという制約があります(ただし、これはプレイ上の制約というだけかもしれません)。
今のところはどちらかというと物理で戦う場面ばっかり見ているような気がします。
璃月と神像
送仙儀式の準備をする一場面です。
品種の異なる霓裳花をそれぞれ香膏にし「七天神像」の前に捧げることで、岩王帝君が気に入ったものを選んでくれるという話でした。待ち合わせ場所に先についていた鍾離が神像の前でぼーっとしているシーンがあります(先生も像ではなく台座を見ている)。
これは、岩王帝君が自らの治世を振り返り、自分の決断について改めて考えているシーンだと思いますが、神像に対する別の感情を読み込むこともできます。
神像は誰が作ったのか?
神像を誰が作ったのかについては天理が作った、民が作った可能性などが考えられます。
① 神像は天理が作った
神の任命者である天理が神像を作ったとの考えです。魔神戦争が終結し、天理が新たな神を任命したときにそれに合わせて神像を作った。神像がもつ不思議な力を考えたらあり得る話だと思います。
もっとも、神像の姿は最初に七神を任命した時のままではありません。なぜなら、マハールッカデヴァータはキングデシェレトによる禁忌の知識による災禍を鎮めるために力を使い果たし幼子の姿となったとされているからです。魔神戦争終結時には大きな姿であったはずで、今の神像姿とは一致しません。
そうすると、少なくとも1回はどこかで神像に変化が起こったと考えられます。
これがマハールッカデヴァータ就任中に起こったとも考えられますが、神と認められたときに神像の姿も変化すると考えても矛盾はなくなります。つまり、神に任命された時の姿/神の交代が承認された時の姿が神像に反映されるということです。
そうすると、スメールの像はクラクサナリデビで正しいことになります。(ただし、この場合、ナヒーダが今の姿になったのはいつなのか?「天理」が神の交代をいつ追認したのか?などが問題となってきます。)
② 神像は民が作った
実はこれでも全く矛盾がありません。新たな神の就任をお祝いして、民が神のために台座の上の部分の石像を作ったと考えることができます。力を有するのは台座で、上の石像はただの飾りに過ぎないということです。
この説明だと神の交代及び承認に言及しなくても神像の変化を説明することができます。
スメールの石像は容姿の変わったマハールッカデヴァータのために新たに作り直した、あるいは、人々が新しい神クラクサナリデビを祝福して石像を作ったという2つの可能性が考えられます。
クラクサナリデビは幽閉されている印象が強いですが、最初の方は花神誕祭も祝われ、人々に愛される神でした。しかし、前の神ほどの知恵がないことがわかってくると賢者に疎んじられるようになり次第に人々の心から消えていきました。
稲妻の石像については影の存在がそもそも民には知られていないので昔から神像が変わっていないということです。
そしてこれは次に述べるように神はそれほど重要ではないという話と整合的です。
神は重要でない?
この問題がややこしいのは、神(Archon)とは何か?、何をもって神の交代とするか?があいまいだからです。
「神」とは、「神の心を所持することを天理が認めた者」にすぎないというのも一つの考え方です。雷神、草神、水神について承認はあったのかどうかも謎です。それ以外にも条件があるか不明ですが、草神の元素力の話からすると、神はその元素については強大な元素力を持っていると考えられます。
この定義だと氷の女皇が神の心を集めることに天理が介入してこないのは、氷の女皇自体が神の心を持つことを認められた者だからということができます。
こう考えると、神がだれであるのか?ということ自体は「法則」ではないが、神の心自体は「法則」に属するものであると考えることができます。だから、神の心を壊そうとしたナヒーダに対して博士は介入せざるを得なかった。重要なのは神ではなくて神の心だということです。
七神は「人類を導く」という責任を負っています。岩神は引退しましたが、これについて天理は沈黙を続けています。これは岩神の引退は「法則」を揺るがすものではないからだと考えられます。次の岩神の話が出て来ないのも、既に岩神の役目が終わったからだと考えられます。
これは花神のまだ実現していない謎めいた予言(「こうして、人は諸王の王となり、諸神の神となる。」)にも整合しています。つまり、神々の時代は終わり(Götterdämmerung)、凡人の時代がくること告げています。
(補足)
台座の見た目のパイモンとの類似性から、天理以前の「統一された文明」に由来するものかもしれません。そうすると、降臨者たる天理は何らかの手段を使ってそれを利用しており、実は神像はもっとテイワットの基層に関わってくるものとも考えられます。
おわりに
神像は1章4幕(穢れた逆さ神像)や3章6幕(名もなき王庭禁薬)など重要な場面でしばしば登場するのにそれ自体が掘り下げられるということがあまりなかったと思います。
フォンテーヌもたぶん神像に触れる話がまたあると考えられるので記事にしました。フォンテーヌPVが発表されて、神像の姿が現在の水神と一致しているのであれば、前の水神が双子やクローンであるという特段の事情のない限り、神の交代とともに神像も変わるということがわかると思います。
そして、天理が作ったにせよ人が作ったにせよ重要なのは台座なのではないかということは頭に留めておいてもいいと思います。
※神像、神の心という字に合わせるべく「神」としていますが、執政とした方が正しいと思います
(おわり)
コメント
七天神像の姿は、七執政がモデルと言われればそう見えるような見えないような…微妙なデザインですよね。
旅人の「②一度に扱える元素は一種類だけ」については、黄金屋でタルタリヤと戦った際のムービーで風と岩を同時に使っているように見えますのでゲーム的な都合かもしれませんね。
(人前で2元素使ってしまうと騒ぎになってしまうのかもしれませんが…カッコよかったのでああいうムービーはまた見たいです。)
神像についてだと、スメールまでの原神は七天神像が街の中になく、なんでこのゲームは街で回復ができないんだ…と思っていました。
なのでフォンテーヌに入った途端、港に水神像が立っていてとても驚きました。(水神像は他にもいくつか街中に建っていますね。)
あれも何か神像の設定に関するヒントなのかもしれないと思い、今後の展開を楽しみにしています。
コメントありがとうございます!あのタルタリヤのムービーかっこいいですよね。
確かに神像の位置ってちょっと外れたところにありますね。モンドのデイリークエストでお掃除に行かされたのを思い出しました。
街中にあると信仰上も楽ですね。面白い視点だと思います。